坂 清子

 ・東海歯科医療専門学校の本科、専攻科を卒業後、歯科用陶

材の開発をスタート。

 

 ・1986年に研究開発会社カスプデンタルサプライを創立、同

年、ノリタケカンパニーリミテドの技術顧問に就任。ニューヨークとボストンにカスプデンタルリサーチを設立したのち、名古屋にカナレテクニカルセンターを設立。

 

 ・1998年にはノリタケカンパニーリミテドとの共同出資で設

立されたノリタケデンタルサプライ(現 クラレノリタケデンタル)代表取締役社長に就任。現在はクラレノリタケデンタル(株)の顧問として若手の育成に力を注いでいる。


 

青嶋先生の功績と思い出の旅

 靑嶋先生を一言で表現すれば、天才の歯科技工士という言葉がぴったり当てはまる。出会いは1987年6月に東京・有楽町で行われた医歯薬出版主催の「歯科技工」15周年記念シンポジウムであった。この時、青嶋先生の「内部ステインテクニック」を見て、その技法、臨床例の素晴らしさに驚いた。当時、私はノリタケカンパニーと共同開発した歯科用ポーセレン「ノリタケ・スーパーポーセレ・トリプルA」の発売が始まったばかりで、技術的に優秀なインストラクターを探していた。

 

 先生の症例を見て、インストラクターをお願いしようと、青嶋先生の当時の勤務先だった昭和大学歯学部の中央技工室を訪問した。そして、先生が求める色調でノリタケ社製の「インターナル・ライブ・ステイン」が完成した。これを機にインストラクターを引き受けて頂くことになり、日本国内、韓国、イタリア、フランス、スペイン、ブラジルなど海外での講演、実技デモをお願いした。先生の考案された「内部ステインテクニック」は、天然歯の複雑な色調を、誰でも簡単に再現可能にしたテクニックであったため、世界的に大評判となり、青嶋仁の名前は歯科技工士を通じて国内は勿論、海外の歯科医師の間でも知られる存在となった。素晴らしい補綴物製作を求めていた海外の著名な歯科医師も、青嶋先生に臨床ケース製作を依頼し、海外の患者さんの臨床も多数手掛ける事となった。その後、東京に青嶋塾「ペルーラ」を開催し、多くの臨床家が自然観を如何に再現するかの技法を学ぶために集まり、この人々の中から世界的に活躍する人々も生まれつつある。今回は、青嶋先生を偲びつつ、先生の功績を振り返ってみたいと思う。